【紫風】2018年 12月号
「五億年ボタン」という、インターネット上で有名な話がある-
ボタンを押すと何もない空間に飛ばされ、そこで五億年を過ごすことで100万円を手にすることができる、という内容のフィクションだ。睡眠を取ることも死ぬこともできないが、「五億年経過後、その時間の記憶は全て消去され、元の場所に戻る」という重要な条件がある。つまり、体感的には一瞬にして100万円が手に入っている – 「押す派」「押さない派」にはっきりと分かれ、様々な議論が交わされている。
本題であるが、ここ最近筆者は「五億年ボタン」に近しい体験をしている。それが、単純作業の長時間労働である21時から翌日の6時まで、たった一度の休憩を挟み、ひたすら意味の分からない単純作業を行う。機械の不快な音だけが響き続ける。ふと周りを見渡してもほとんど人はいない。広い空間に置かれた自分の姿を、どこか客観視している。気が狂いそうな無機質な業務の中で、「なぜ今日も来たのか」を毎度自問するしかし労働が終われば、手元に残るのは深夜の高時給のみである。
たかだか8時間の業務だ。感じたストレスなど、それほど覚えていることはない。生活リズムを崩してまで小遣いを稼ごうとする自分への嫌悪の方が、より一層強い。この道を何度も通るのは、もはや必然なのだろうか外に目を配る。まだ喧噪の残る街を横目に、筆者はゆっくりと腰を挙げた。そろそろ時間だ。ボタンを押しに行かなければならない。